2019年11月15日金曜日

「ユリノキ」を見ていたら

 1・2年生が体育館でサッカーをしていました。今日はグラウンドが濡れていて使えないからです。フットサル用のボールを使って、エンドラインもサイドラインも設けないので、壁にぶつかってもゲームは続きます。点が入ったとき以外はボールも子ども達も動いています。グラウンドに比べてスペースが狭いわけですが、それだけボールコントロールを丁寧にしなければなりません。今日も大いに盛り上がっていました。

 3年生教室では、「漢字テスト」の真っ最中。練習の成果が試されます。よほど練習したのでしょう。あっという間に書き終えて「見直し」をする子もいました。この作業がとても大事です。

 さて、今朝、校門で子ども達が登校する様子を見ながら、ふと3本の「ユリノキ」を見上げたら私は、あることに気がつきました。皆さんはわかりますか?

 葉の残り具合が皆違うということです。すぐ近くに植えてあるのに、同じ時に植樹されたのに、3本のユリノキには違いが感じられます。でも、どの木が良い木で、どれがだめな木だなどということはありません。
 一番右の木は、昨年強風のため幹の先の方が折れました。あとは、日の当たり具合が違うのか、風の当たり具合が違うのか、それとも、遺伝子レベルの違いなのか・・・同じ種なのに・・・それぞれの環境、これまで生きてきた状況が何かしら違うのかも知れません。
 人も同じなのではないでしょうか。同じ家に生まれた兄弟でも、同じ地域に生まれた人同士でも、同じ歳でも、生きていく環境や条件、遺伝子や特徴など何かしら違いがあって、まるっきり同じ人はいません。経験することや考え方にも違いがあって、価値観も異なります。生きている途中、怪我や病気で何かを失ってしまうかもしれません。
 でも、どんな姿であっても、3本のユリノキに優劣がないように、人にも優劣はなく、それぞれの存在や持ち味は平等に尊く価値があるはずです。みんなを大事にするということは、互いに違いを認め、互いに価値ある存在として、互いに相手に合わせた対応を心がけることなのではないでしょうか。子ども達には、そんなつながりを作る大人になってほしいと思います。